第39回(通算69回)大会 研究発表要旨【大学の部】

司空曙送別詩論
福原早希(筑波大学大学院)

司空曙(740?~805?)は、中唐前期にあたる大暦の時代に活躍した詩人であり、盧綸・銭起・崔峒・耿湋らと共に「大暦十才子」の一人に数えられている。安藤信廣『中国文学の歴史古代から唐宋まで』(東方書店、2021年)は、大暦十才子の特質について「優雅・平明な表現をたいせつにし、情感に富む世界を好んだ」と述べている。司空曙は大暦十才子の中核をなす詩人だが、日本における大暦十才子の研究では、主に盧綸・銭起が取りあげられ、司空曙の詩歌については殆ど顧みられることが無く、その特色は見過ごされてきた。
本発表では、全174首現存する司空曙の詩歌の中で最多を占めている壮行の詩歌、いわゆる「送別詩」を中心に分析・検討することで、その特色の一端について私見を述べたい。

辺塞詩としての蝦夷漢詩――幕末道南にゆかりの詩人を中心に――
泊功(函館工業高等専門学校)

領土拡大とともに辺境が広がっていった盛唐時代に盛んに作られた辺塞詩は、唐詩の模倣から入った日本の詩人によっても作られてきた。古くは『懐風藻』に残る藤原宇合「奉西海道節度史之作」や絶海中津「出塞図」などが知られるが、江戸に入ってからも盛唐詩を模倣した木門や、蘐園学派の詩人たちによって作られた。ただし、本家の辺塞詩も多くがそうであるように、彼ら日本人作の辺塞詩も題材として辺塞という文学空間を借りただけで、実際の辺塞体験によって作られたものではなかった。
しかし、十八世紀以降、領土的野心をもってロシアが蝦夷地を目指して南下してきてからは、その状況が変わった。蝦夷地は地政学的な辺境=国境未画定地帯と化したのである。そして現地松前藩や東北諸藩は、幕命によって北蝦夷(カラフト)を含む蝦夷各地に、ロシアからの防備のため「辺塞」を築いた。その結果、蝦夷地警備の勤番、あるいは探検家や役人として蝦夷地を訪れた詩人たちが、実体験に基づいた「辺塞詩」を詠み始めたのである。本発表ではその一端を紹介したい。

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